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【その時歴史は動いた】突発・歴史ネタ【ように後年書かれただけかも】

1 名前:わっぱが:2007/07/04 08:06 ID:kGySHziy6s
 テンポラリな歴史ネタ。
 インターネットの普及と、権威の老衰化により、「べき論」と先陣争いと愛着に左右されない検証が可能になってきました。
 フィクションと史実の区別が付くようになってきたのは良いことでしょう。
 湯沢ネタでないので、sage進行が基本かと。
 もちろん、佐竹家ネタもよいかも。
 「梅津政景日記」読本 増刷出来、2625円(無明舎) 飲み会1回分なれど、買うか買わないか悩み中です。

2 名前:わっぱが:2007/07/04 08:45 ID:kGySHziy6s
>一夜城は、上流でパーツを組み立てて、川を利用して運んできて組み立てたので
>敵にしてみれば、朝になったら柵ができていたということのようです。

 という物語になってましたけど、戦記にはそのような話が書かれていないのが不自然、ということでした。
 まあ、ロケーション的にはあってもよさげでしょうけど。 

>本能寺の秀吉黒幕説というのは、・・・知れないとは思ってたかも知れませんが、

 いや、最近の「説」では、知っていたどころか、光秀と連携していたフシが。
 光秀も、明智家は古くからの名門ですが、肝心の光秀自身の生い立ちが全く文字になってないとのこと。
 実は秀吉よりも不明な部分が多い人物で、織田家の帷幕に入る前は全く空白。これは名門・明智家としては異例のようです。
 物語・小説に出てくる斉藤道三との関係も、これまた「らしい」以上の情報はない。というか、齊藤道三自身ももっと謎が多い存在。

3 名前:わっぱが@下げるの忘れた:2007/07/04 08:45 ID:kGySHziy6s
 まあ、この時代の名のある豪傑って、2代か3代前は出自不明の人が多いです。
 軍師といわれる竹中半兵衛、黒田官兵衛にしてもそれぞれ親父・じい様が流浪の民なわけで、異説でいうように、この時期は貴族→武士→ときて、山の民が海の民を逆征服した時期なのかもしれません。
 「忍者」というのは言い過ぎとしても、これらの成り上がり組は、単独の戦いも強かった特徴がある。平時は山賊、有事は傭兵として活躍していたのが、日本史上での伊賀衆、甲賀衆、その他の山の民なので、そこから出世したのが、道三だったり、信玄だったり、光秀だったり、秀吉だったりしたのかもしれません。
 信長や家康は、まあ、サラリーマンの子息ぐらいの感じですが、それぞれの懐剣たる近臣は、銭で買った山賊あがりみたいなのがたくさんいましたから(服部半蔵など)。
 古くは、義経が子供の頃から山の民との交流により武力や戦略を見につけた、弁慶は山の民からの連絡将校であり特定の1人ではなかった、という説がありますね。
 それからすれば、やっぱ誅殺されず、北に逃れたのかも。

完全に知っていたとか本当は黒幕ということは無さそうです。
だとしたらあまりにも大ばくちで、思惑通りと言うよりは、うまく空気を読んで
行動したと言うことではないでしょうか。

その後の仕打ちに関しては、家柄というバックボーンがないので、家柄重視の古い体質への
対抗策としては仕方なかったと思います。
家臣団とは言っても、殆どは小領主の集まりですし、それなりに譜代の家臣がいるわけです。
それに比べて、そういう繋がりがないので強いところを見せておかないとダメですから。
家康黒幕説というのもありますね。
伊賀越えは根回しができていて、ついでに邪魔な穴山梅雪も殺すシナリオ。
その後は、織田家中を分断して勢力を計る。
秀吉がすぐに反応したのは誤算だったけど、結果としては長生きして良かったみたいな(笑)

光圀は大日本史を編纂し、家康の孫でありながら尊皇思想の強い人だったんですね。
そういう尊皇思想が、後に水戸天狗党とかに通じたんですかね。

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