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【その時歴史は動いた】突発・歴史ネタ【ように後年書かれただけかも】

1 名前:わっぱが:2007/07/04 08:06 ID:kGySHziy6s
 テンポラリな歴史ネタ。
 インターネットの普及と、権威の老衰化により、「べき論」と先陣争いと愛着に左右されない検証が可能になってきました。
 フィクションと史実の区別が付くようになってきたのは良いことでしょう。
 湯沢ネタでないので、sage進行が基本かと。
 もちろん、佐竹家ネタもよいかも。
 「梅津政景日記」読本 増刷出来、2625円(無明舎) 飲み会1回分なれど、買うか買わないか悩み中です。

2 名前:わっぱが:2007/07/04 08:45 ID:kGySHziy6s
>一夜城は、上流でパーツを組み立てて、川を利用して運んできて組み立てたので
>敵にしてみれば、朝になったら柵ができていたということのようです。

 という物語になってましたけど、戦記にはそのような話が書かれていないのが不自然、ということでした。
 まあ、ロケーション的にはあってもよさげでしょうけど。 

>本能寺の秀吉黒幕説というのは、・・・知れないとは思ってたかも知れませんが、

 いや、最近の「説」では、知っていたどころか、光秀と連携していたフシが。
 光秀も、明智家は古くからの名門ですが、肝心の光秀自身の生い立ちが全く文字になってないとのこと。
 実は秀吉よりも不明な部分が多い人物で、織田家の帷幕に入る前は全く空白。これは名門・明智家としては異例のようです。
 物語・小説に出てくる斉藤道三との関係も、これまた「らしい」以上の情報はない。というか、齊藤道三自身ももっと謎が多い存在。

3 名前:わっぱが@下げるの忘れた:2007/07/04 08:45 ID:kGySHziy6s
 まあ、この時代の名のある豪傑って、2代か3代前は出自不明の人が多いです。
 軍師といわれる竹中半兵衛、黒田官兵衛にしてもそれぞれ親父・じい様が流浪の民なわけで、異説でいうように、この時期は貴族→武士→ときて、山の民が海の民を逆征服した時期なのかもしれません。
 「忍者」というのは言い過ぎとしても、これらの成り上がり組は、単独の戦いも強かった特徴がある。平時は山賊、有事は傭兵として活躍していたのが、日本史上での伊賀衆、甲賀衆、その他の山の民なので、そこから出世したのが、道三だったり、信玄だったり、光秀だったり、秀吉だったりしたのかもしれません。
 信長や家康は、まあ、サラリーマンの子息ぐらいの感じですが、それぞれの懐剣たる近臣は、銭で買った山賊あがりみたいなのがたくさんいましたから(服部半蔵など)。
 古くは、義経が子供の頃から山の民との交流により武力や戦略を見につけた、弁慶は山の民からの連絡将校であり特定の1人ではなかった、という説がありますね。
 それからすれば、やっぱ誅殺されず、北に逃れたのかも。

完全に知っていたとか本当は黒幕ということは無さそうです。
だとしたらあまりにも大ばくちで、思惑通りと言うよりは、うまく空気を読んで
行動したと言うことではないでしょうか。

その後の仕打ちに関しては、家柄というバックボーンがないので、家柄重視の古い体質への
対抗策としては仕方なかったと思います。
家臣団とは言っても、殆どは小領主の集まりですし、それなりに譜代の家臣がいるわけです。
それに比べて、そういう繋がりがないので強いところを見せておかないとダメですから。
家康黒幕説というのもありますね。
伊賀越えは根回しができていて、ついでに邪魔な穴山梅雪も殺すシナリオ。
その後は、織田家中を分断して勢力を計る。
秀吉がすぐに反応したのは誤算だったけど、結果としては長生きして良かったみたいな(笑)

光圀は大日本史を編纂し、家康の孫でありながら尊皇思想の強い人だったんですね。
そういう尊皇思想が、後に水戸天狗党とかに通じたんですかね。

4 名前:わっぱが@下げるの忘れた:2007/07/04 08:47 ID:kGySHziy6s
 あ、さらに下の書き込みpasteしたまま送信してしまいました。
 スナドリさん、すみません。(ちょっとasahiさんモードか)

5 名前:スナドリネコ:2007/07/04 10:40 ID:kwtOqyv6/2
あたらしスレッドですか、良いですね。
湯沢近郊の歴史ネタも、こちらに書き込みできますね。
しかし、全体が荒らし対策本部なのが玉にきず(笑)

そんな、2代3代前にさかのぼったら出自なんていい加減になりますよ(笑)
そもそも、有名になった人、えらくなった人が都合良く作った物ですから。
結局みんな、源氏とか平氏とか、藤原になりますし。
何らかの方法で、古くからの守護職の家系に入り込んだりしています。
土岐氏とか、斯波氏とかは格好の餌食ですよね。
うちだって、たどれば斯波氏に繋がってしまうんですよ(笑)

6 名前:わっぱが:2007/07/05 01:02 ID:K3GeqzhEGs
 確かに(笑)
 荒らし対策本部のテーマとはずれますね。

 湯沢の歴史も、今までの佐竹中心の正史だけでなく、小野寺時代やそれ以前への視程を持った記載のものももっと充実していいように思います。
 旧雄勝町は、古代の遺跡とか中世以前の柵や館の存在があるゆかしい場所ですし、
稲川地区などは、稲庭城の小野寺氏の一大拠点であったこともあり、佐竹よりも小野寺色が強い気がします。
 旧湯沢地区は、もともと佐竹南家が開拓した町と言い切っていい町ですから、佐竹色が強いのは仕方ないにしても、湯沢発祥のエピソードの7人の流れ武者などのお話はもっと小学生とかにお話してもいいんじゃないかな、と思うです。

 家系で言えば、兄弟が多かった明治後期〜昭和前期は、10人兄弟×2〜3世代ということで、もう親戚(過去帳)のリスト作るだけでもエクセルがないと訳分かりません。
 私でさえ、父方・母方のイトコが約30人いますしね。名前もよくわかんないです。
 本家筋では系図がクリア、といっても安心できず、連れ子あり、後添いあり、メカケあり、で、もう実際、私も良く分からない関係の方がたくさん登場します。(殆どは鬼籍に入ってるが)
 2世代前は結核とかで結構ぽっくりいってるので、若死にした人も多いです。もちろん日清・日露・太平洋戦争がありましたしね。親戚の家にはデザインが違う軍服の写真が3代つづけて飾られている家があります。
 早くも、もう来月はお盆なのですねー

7 名前:スナドリネコ:2007/07/05 13:55 ID:U.d75jns/E
小野寺氏は、全国的には全く知名度が低いですよね。
一時は最上氏とも対等に渡り合っていたんですけど、時勢をみられなかったということで、
滅亡してしまいました。
関ヶ原のときも、最上氏との確執から西軍に付いてしまったんですよね。
西の方で戦闘が長引いていれば、上杉と挟み撃ちで最上氏を滅ぼしていたかも知れません。
そのあたりの話が、「天地人」で出てこないかなと思っているんですけど、無理か(笑)
子孫は佐竹氏の家臣になったようです。

8 名前:わっぱが:2007/07/07 01:42 ID:XsQ9Exabxk
 小野寺さんは非常によく整理されたHPを作られたり、アクティブですね。
 うちの職場でも2名おりますが、秋田との関係は不明です。(全国にちらばってるんですね)

 秋田県南の場合、対峙するのは最上だけで済んだんですが、最上地域は東西南北あちこちから侵攻された歴史のようですから、住んでる方は大変ですが兵の練度は高いようです。
 ・・・とのそのせいか、秋田県南軍vs山形県北軍は、ほとんど山形軍の勝利ですね。
 で、だいたい、撤退ラインが岩崎橋のあたりかと・・・

 でも、関が原では、上杉軍は士気が高かったので、挟撃するとひょっとするとひょっとしたかもですね。
 でもまあ、土着の豪族は東軍でも加増&移封というのが原則でしたから、勝ったら勝ったで九州あたりで20万石だったかもしれません。
 マターリ地元で一族仲良く暮らしたい、という向きは、郷士や肝煎として、新しい領主さまに採用されるのを待つのが正解かもしれません(堺商人みたいですな)。

 湯沢の言葉のイントネーション・リズムは、確実に最上の影響がありますね。
 実は最上家の直系は、「義●」という系列の名前が多く、このルールは佐竹家と共通しているところですね。
 領地が広かったので、最上一族は「(地名)+義●」という呼ばれ方をしたようです。
 佐竹家の場合、常陸時代の記憶が現代まで薄れず「南家」とかいう名称で呼ばれたのとは大きく異なりますね。
 (「湯沢殿」「淡路」という呼ばれ方あったにせよ、基本では「南」という呼称)

9 名前:わっぱが:2007/07/07 01:55 ID:XsQ9Exabxk
 最上様御家中で、最も興味を引くのは、「駒姫さま(お伊万の方)」ですね。
 最上義光の次女として生まれて、
 九戸征伐の途中、山形城に立ち寄った豊臣秀次が駒姫の可憐さに心を動かし、最上義光に差出すよう要求され側室に。
 で、たなぼたで、秀次が関白になってしまって、かの豪華絢爛の聚楽第で暮らしたが、
まあ、よくあるパターンで秀次が失脚・切腹、で、一緒に斬首されたそうな。おん歳15か16歳。
 まさに運命に翻弄された短い一生でございました。

 この恨みが最上を東軍に追いやったわけですので、秀次の女好きが
小野寺の運命も変えてしまった、というオチでございました。

 最上義光の妹=伊達政宗の母親=義姫も長生きしたので、エピソードが面白いです。
 周りが敵だらけの御家だけにドラマティックな展開が多いのです>最上家
 それからすれば、小野寺家、佐竹家は、お互い移封されながらも、悲劇的な展開は少なかったといえるのではないでしょうか。
 苗字は変わりましたけど、小野寺氏一族は、広く県南に広がりましたしね。

10 名前:スナドリネコ:2007/07/08 10:23 ID:mha7VFUvO2
小野寺氏も、敵は最上だけでは無かったのですよ。
仙北方面では、戸沢家との諍いもあったし、一番悩ませたのは由利一二党と呼ばれた
由利本荘方面の土豪達との争いです。
有屋峠の戦いでは、最上氏をかなり追いつめています。
しかし、小野寺義道がかなりダメな人だったようで、重要な重臣を殺してしまったので
家臣のモチベーションが下がってしまったようです。
それで、新庄の守りだった鮭延秀綱も最上方についてしまったんですね。

関ヶ原後は改易され、有名な坂崎出羽守預かりとなり、その後坂崎も千姫の行列を襲って改易。
小野寺義道は岩見の国で亡くなったようです。

11 名前:わっぱが:2007/07/08 16:13 ID:PMGQX5KPMc
 なるほど.平野だらけの/横断河川の無い、この横手盆地=仙北平野でも争いはあったんですね.
 地方豪族の場合、あまり人なれしてないので、北に行くほど、重臣を殺してみたり、親族争いがありますね.
 つい最近でも、戊辰戦争のときも、湯沢の家老が無意味な命令で詰め腹切らされました(早川さん).ほんと、バカ官軍も困ったもんです.(秋田県内の焼き討ちは殆どが官軍の焦土作戦のせいであった)
 明治期までは、仙台藩士が...とか言われてましたけど、大正とか昭和初期になって、自由な気風が出て体制批判できるようになったら、いっせいに子供の頃の日記とか、新聞への手記.対談とかでて、バレバレになりました.
 一方で、秋田県出身者は、岩手の学校や仙台の学校ではだいぶん肩身が狭かったようです.
 明治政府も、秋田藩の戦費をまかなうだけの報奨金も出さず、藩主一族を東京に移住させて貴族にしてあとはだんまり、という構えでありました.

12 名前:スナドリネコ:2007/07/09 11:12 ID:NLhCR4WEUI
私の所蔵の資料を見ましたら、小野寺氏は関ヶ原の頃かなり衰退していたようです。
その時点で、湯沢も稲庭も最上氏が占領していて、主立った三関城主佐々木氏、山田氏など
の家臣は、小野寺義道に愛想を尽かして最上方になっていたようです。
同盟者だった六郷氏も、最上氏と挟み撃ちにしようとしていた情勢です。
最上義光の策略で、重臣の八柏大和守を殺してしまったのが転落の発端のようです。

秋田の場合は、明治から昭和にかけて軍人を排出していなかった事も軽んじられる
要因だったかも知れません。
確か、将官までなったのは一人しかいなかったようで、その後は有力な政治家も
排出していませんし、発展する要素が全くないんですよね。
今後のことを考えても、望み薄です。

13 名前:わっぱが:2007/07/11 02:44 ID:HToIufYmes
 あまり深刻な争いが無かったので、内部の引き締めの緊張感が薄かったのかもしれません。
 今話題の信州などは、3世代前からの家老の家が裏切ったり、上杉家でもあちこち端っこから片っ端に寝返ったりと、教科書にあるような堅いつながりではなかったようです。なにせ嫁にやった婿が攻めてくるなども日常でしたから、江戸期とちがい、姻戚関係もあまり有効でなかったようでした。まあ、明日をも知れぬ戦国では嫁や娘までも大事にできなかったのかもしれません。かの家康でさえ、命令により奥さんと息子を手打ち(もちろん部下代行)したわけですしね。秀吉なんか実のおっかさんを人質に送ったりしてましたから、なんか親の恩とか家族愛とか空しい社会でしたね。

 軍人でいえば、お隣・岩手県からは沢山軍人を輩出していますし、総理も
原敬、斎藤実、米内光政、鈴木善幸と4人も出ています。
 岩手県以上なのが山形県で、山下・黒井の両海軍大将、南雲中将、石原莞爾(中将)、とにかく陸海とも将官を多数輩出しています。
 貧しかったから、志願して軍で出世というのが、両県に共通したところで、苦労人であるところが、軍の中での人望につながったようです。
 明治期以来、官軍出身者がエバってましたので、賊軍側の県出身者は実力派が残ってきたことも大きいかもです。

 とかく、人望とかハングリー精神、ということになるととたんに秋田県人は弱いです。離職率も高いので出稼ぎ時期もちょっと別格でした。
 日本最大級の集団就職・出稼ぎ地域でありながら、出世者が相対的に少ないのは、なんのかんのいって、実家に帰って米作れば食っていける、という余裕があったからと思います。(岩手・山形はそれが出来ない)(それだけに商品作物への転換が早かった)

 なまじっか豊かで土地が広い場所は、偉人が出にくいようです。
 それに、まあ、軽んじられても、秋田県内にいる限りは、大丈夫ですしね。

 驚くのは、まだ、現代においても、山形県や岩手県よりも秋田県の方が豊かだと公言しているトショリが多いことです(特に平地農村部)。
 秋田県の構造改革を阻んでいるのはそのような存在だと思います。 

14 名前:スナドリネコ:2007/07/11 11:19 ID:..XlPPunLc
確かに豊かだったので、軍人になる必要がなかったという理由があるみたいですね。
現在、実質的には豊かではないのでしょうが、精神的な豊かさというのは秋田の人の方があります。
たぶん、欲張らないとかがっつかないとか、そういうことがあるのではないですか。
悪くいえば、上昇志向が無いということでしょう。
緩やかな幸せで、満足しているところがありますね。
1000円しか必要と思って無い人が、2000円を得たら幸せな気分になるのでしょう。
秋田県人はそういう気質だと感じます。
特に県南の人はそうかも知れません。
ところが、宮城などはそうではないのです。
10000円必要だと思っている人なら、5000円得てもまったく幸福感はありませんよね。
最初っから、目標が高いのです。
そういうところが、発展性のなさに繋がっているような気がします。
それで、そういうのって今に始まったことではなくて、江戸時代以前から続いているのではないのかな
と思えたりしますよね。

15 名前:Horus:2007/07/12 00:12 ID:9MKh6fKYqc
おまいら、めちゃくちゃ
どうでも良い歴史に詳しいなりねー。
スナドリに、
歴史勉強しろといってた奴いたな。
その後出てこないナー wara
こりゃこっぱずかしくて
出てこれないわなぁ baku

16 名前:わっぱが:2007/07/12 00:49 ID:Wi7KJIuz86
 んー、たしかにどうでもいい、かも。
 歴史よりも今が大事ですからね。
 としても、今、歴史書に秋田が名が残る何かがあるかどうか・・・・
 「大いなる秋田」みたいに、資源は豊か、湧き出る油田、とかだとよかったんですが。
 (そしたら、豪州みたいに、いまごろ豊かになってたかも)

 今晩の「そのとき歴史・・」は、今川義元の特集。
 珍しく客観資料に当たって、組織力の強さに力点を置いたあたり、「プレジデント」とかの読者に受けるかも。
 義元は、戦国一の強弓引きということで、体が大きく怪力だったようです。
 鉄砲の活用も、織田家よりずっと早く財力もあったわけで、信長とか家康とかは結構、義元の施策をマネしてたんですね。
 それにしても、義元をほめる人があまり出てこないのは、信長・秀吉・家康正当論のせいでしょうか。

17 名前:スナドリネコ:2007/07/12 14:08 ID:BUBJB8Q2ug
いや、たぶんその人は他の名前で出てきてるのかも(笑)

今川義元も、風林火山ではわりと評価されてるように思いました。
やはり、評価を下げている一番の原因は、桶狭間でしょうね。
普通に結果だけを見ると、かなり間抜けな印象です。
それと、公家のようにお歯黒をしていたという話が有名なので、戦国マニアとしても、
武将としてはかなり低く評価してしまいます。
また、これといった実績が無いというのもありますよね。
細かいところでは色々とあったのだろうけど、一般的にみんなが知らないと言うことです。
いろんな人には絡むんだけど、主役として大河ドラマを作れる程ではないみたいな感じです。

小野寺氏に関しても、有名でないので安定していたと思われていますが、
「小野寺盛衰記」などに寄りますと、かなりのドラマがあったようです。

18 名前:わっぱが:2007/07/13 02:40 ID:UqdWj1DBLU
 例によって、お歯黒してたかどうか疑問、という話もありました。
 NHKでも使っていて、今まで信頼できるとされた「信長公記(しんちょうこうき)」も演出があるということで、それを除くと記録がなく、創作である、とかいう話も。
 あと、一方、お歯黒は公家だけの風習でなく、武家にも浸透していたという話もあり、義元だけのことではなかった、という話もありました。今川家だけでなく、平氏系である北条家でもあったそうです。

 義元の場合、でっぷりと太った白豚で、お歯黒で、愚策によって窮地に陥り、あたふた逃げ回って首をとられた、戦国武将らしからぬヒドイ姿で描かれることが多いですが、桶狭間の陣取りは突発的なものであり、また、本陣襲撃後も、義元自身が攻め手と斬りあった、ということですから、戦国武将らしく白兵戦のための訓練も欠かさなかったようです。
 それに、年齢42歳ということで、よくある時代劇ドラマのように年寄りな見た目でなかったように見えます。
 信長の著名な肖像が怪鳥風の鋭い絵柄なので、義元はのろまな絵柄に対比的に描かれた可能性があります。

 戦国大名では間違いなくトップの人気のなさ・おろかさNO.1となってるのは、おそらく信長ファンのおかげで敵は必然的に対照的に描きたかったせいでしょうか。
 あと、静岡の場合、その後の家康の方がネームバリューがあるので、現代の地元に味方しようとする人がいないことも大きいのでしょうか。
 「信長公記」にのみしか書かれてないことが、もし創作だったとしたら、すでに検証されている記録だけでは、信長があんなエキセントリックである必然性がないですね。
 信長像の修正が、ほかの戦国の雄、秀吉、家康、義元などのイメージの修正につながっていくかもしれません。

19 名前:スナドリネコ:2007/07/16 09:42 ID:DMzj9xHuDA
風林火山、千葉もゴリさんもあり得ない死に方していました。
もう殆ど、板垣のためのドラマになっていましたね。
実際の戦争の記録は、ただ何日に戦いがあった程度で、細かいことまではわからないようです。
誰が戦死したとか、誰が首を上げたとか言うことは記録されてた物もあったそうです。

結局、その地域で一番の英雄が人気になりますね。
宮城では伊達政宗ですけど、本来は伊達家は米沢が本拠地だったわけで、仙台は江戸時代になるちょっと前
くらいなので、むしろ葛西氏や大崎氏のはずなのですけど。

20 名前:わっぱが:2007/07/21 13:34 ID:ECJBHGNDmE
 やー、今見てますが、もう完全に「太陽にほえろ」モードですね。
 「さらば、熱血刑事○○」みたいなキャプションつきで。

 青空を背景に、アオリで撮る撮る。
 もう、主人公なんか完全にそっちのけです。(信玄もだんだん、片岡知恵蔵みたいになってきたなあ)

 昼日中に、マーボー豆腐食いながら見てますので、ほんとギャグか
パロディーにしか見えないです。
 なんか、「NHK,あたた、やっちまったなー」という感じです。
 
 とりあえず、全員が全員、タメを作って咆えなくてもいいと思う。
 あと、BGMうるさい。

21 名前:わっぱが:2007/07/21 14:18 ID:ECJBHGNDmE
 いまだリアルな考察に基づく時代劇って作られてないそうです。
 (土曜日の「受けたい授業」ぐらいかな)

1.職業軍人としての武士を有していたのは、ごく少数の裕福家のみ。
 それ以外は、平時は地場の庄屋級で、大刀2本ざしで領内を歩いたりはしなかった。
 槍組や徒歩組はそもそも定期給でなかった。(自動車の組みたて工のように季節工)
 よって、実際の戦(いくさ)も、端っこの方は意外にのんびりした感じだった。(致死率が異常に低い。通常、真剣同士の切りあいの場合、致死率は双方とも7割程度になるそうです(失血死などが原因))

2.戦いの規模も、メーデーと同様、主催者発表。
 中国史のように10万人、100万人とかいう主催者発表も笑えるが
 なお、継続して戦争するには、前線の人数×1.0〜2.5倍の兵站(ロジスティックス)が必要です。
 旧日本軍は、この値が、0.2〜0.5しかなかったそうなので、あっというまに前線が孤立。弾薬つきて全滅(人数にすれば病死餓死の方が多かった)ということになったわけです。
 徴用人数だったか、実際に全然で陣で戦った人数なのか分かりませんが、戦場の広さから逆算して、実際は史書の半分以下のような感じだそうです。(お城の敷地面積からして、そんなに人数は入れないとかよくわかる)

22 名前:わっぱが:2007/07/21 14:20 ID:ECJBHGNDmE
3.TVに出るほど馬は数多くない・小さい=伝馬の速度を再検討する必要がある
 馬を戦略的に数多く養ったのは、世の中が安定化した江戸時代から。
 藩幹部以上の、いわば公用車としての需要が全国各藩からでてきて将来の需要もみこめるために産業化できた面が大きいようです。
 馬は、明治時代には最も重要な「軍用品」になりました。
 なお、当然、TVに出てくるような足の細いサラブレッドでなく、馬体も半分くらいの日本在来馬(といっても中国からの輸入種が多い)だったそうです。
 というわけで、アタリマエですが、馬足も今の競馬のようなスピードではなかったようです。(そもそも、道の幅や凹凸が大幅に違う)
 峠越えも沢目しかいけないので、伝馬できない箇所も多く、文書の伝達は一日50kmぐらいだったようです。

 これを勘案すると、今まで当然・客観的とされた「史実」が前後関係が入れ替わったりして、再検証が必要になってきているようです。
 前後が入れ替われば、その事件の原因も別の理由になり、ひいては歴史上の人物像のみなおしまで波及するということになりますね。

 実は信長は本当にバカで、太原雪斎みたいな影の実力者の傀儡だった、ということすらありえますね。
 とにかく「信長公記」も「太閤記」も、リアルタイムの権力者の目なしには出来なかったものですから、バイアスがない、とは言い切れないと思います。
 ましてや、江戸時代であれば、それは「商品」ですから、面白くなければ・庶民が読んでスカッとするものでなければ、いけないわけで、結果として波乱万丈・型破りな豪傑ばかり出現してしまうわけです。そんで敵役や現政権につならる勢力は「悪い人」「無能な人」なので誅殺されますた、というステロタイプになってるわけです。で、ときどき、悲劇の人、という演出も入れたりして涙をさそうわけです。

 正統主義の偏見を排除すれば、アテルイとかの話も別の見え方で見れますね。
 ネイティブと渡来侵略者との戦い、というシチュエーションは世界史的にはむしろ普遍的なイベントです。

23 名前:スナドリネコ:2007/07/23 12:16 ID:PdqafJY.iM
確かに、青空が綺麗すぎて気になりました。
村上義清が、越後の上杉謙信を頼って落ち延びるまでは、ガクトも本格的に登場しませんね。
ガクト謙信はなんかかっこいいですし、常に正義の戦いをしていたというずれた所も、
普段から、浮世離れした雰囲気のガクトならイメージできます。

当時は、馬に乗った状態での戦闘は無かったといいますね。
小さくて無理だったのではないかと言うことです。
伊達政宗の騎馬鉄砲隊というのも無理があるそうですし、テレビの影響でイメージができあがってしまっています。

10万人100万人も人がいたら、食事時間やトイレが大変だったでしょうね。
前の方が戦っているときに、後ろではまだ飯を食っていたとかありそうです(笑)

24 名前:スナドリネコ:2007/07/23 12:30 ID:PdqafJY.iM
あちらは、話題の移り変わりが早いのでこちらに書きますが、木村酒造が元秀吉の家臣だったという話を聞いたときに、
てっきり、それは木村吉清、木村清久父子だと思いました。
場所的にも、葛西大崎一揆で佐沼城に立てこもり救出された木村父子だろうと勝手に思ってしまったのです。
それだったら、むちゃくちゃだらしなくて、とても自慢できる物ではないなと思ったのです。
ところが、調べてみたら、木村重成だったんですよね。
そうなると、ちょっとイメージは違います。
真田、薄田、後藤、木村の主要かっこいいメンバーではないですか。
ちなみに、木村清久も夏の陣で討ち死にしたみたいですね。

25 名前:わっぱが:2007/07/24 00:33 ID:otMloH0qXU
 鉄砲も、戦国期であれだけ大量には登場しないですよね。
 なにせ、30丁あれば国が取れた、という当時の最新兵器ですから。
 日本刀もあんな切れ味で戦してたわけでなく、ナタみたいなので撲殺してたのが実際で殆どの日本刀は数回の打撃で反ってしまうか、割れてしまったようです。(ごく少数の名刀除く)
 なので、槍がかなり有効で、最も用いられた武器のようです。

 集団戦の場合は、弓が最重要で、いかに弓隊を編成して、物量で圧倒するかが勝敗を左右したようです。
 日本のよろいは隙間が多く、顔面や隙間にあてれば確実に戦力を減らすことが出来ます。
 そもそも殆どのいくさは集団戦であり、1対多、数人で囲んで1人をしとめる方法なので、可動域は広くても間合いが限定される日本刀(大刀)は不利に働きます。
 結局、先鋒が騎馬武者の槍の隙間を縫って馬の前足を太刀で砕いて落馬させ、周囲から無数の槍で突き刺す、というパターンのようです。
 通常の場合は、両端に刀が付いている変形長刀(なぎなた)がかなり生き残りには有効だったようです。

 で、なんで、日本刀の切りあいが好まれるようになったかは、やはり江戸期の芝居の影響が強いようです。
 桃太郎侍が、出ていきなり槍でつっつかれて絶命、では盛り上がりがないですからね。

 木村重成はポッと出の参陣組ではなく、秀頼の唯一の腹心というか乳兄弟なんですね。
 もし、豊臣家が生き残っていたら、官僚派を抑えて確実にナンバー2になっただろう存在です。

 木村家の番頭は内藤家だそうで、湯沢にも内藤さんがいるのはひょっとして木村家に随行したせいかもしれません。
 今で言うと、いま人気の「執事」かもしれませんね。バトラー、かっこいいです。

 木村重成は、当時まれにみる美男子だったそうで、悲報に接した大阪城内の婦女子は皆泣いたという。
 ジャニーズ系ですか?

 とにかく大阪冬の陣、夏の陣は話題豊富、人物豊富です。
 家康のいやらしさ全開、というところも見所です。

26 名前:スナドリネコ:2007/07/24 11:49 ID:IhNVUH/nGg
大阪の陣でもう一人忘れてはならないのは、塙団右衛門ですね。
木村重成は、首を切られたときに胃の中の物が出てきたらかっこわるいので、戦の前には物を食べなかったそうです。
夏の陣では討ち死にする覚悟だったようで、男の美学でもあります。
薄田隼人正は岩見重太郎だったりと、大阪の陣での有名人達には超人的な逸話がありすぎて、それも人気の秘密です。

当時の方なの役割は、敵の首を取るときと自決用だったと言いますね。
戦闘では通常は槍だったようです。
秀吉の逸話でも長い槍と短い槍の話がありますし、1対1の果たし合いでもなければ刀は不利です。

信長は、長篠の戦いで鉄砲3000丁だったそうですが、当時はかなり高かったでしょうから、すごいお金がかかりそうです。
この時にも、実際は弓が威力を発揮したみたいです。
後は、武田軍が無茶すぎたし。
すでに山本勘助もいなかったから、作戦とか全然無かったという感じでしょうか。
この印象から、武田勝頼凡将説になっているんですよね。

軍師と言われる人の中で、一番謎なのが島左近です。
実際に、この人は何も軍師らしきことをやっていません。
しいてあげれば、家康の暗殺をしようと進言したことでしょうか。
それも、石田三成に却下されてしまっていますし。
それなのに、軍師として有名になっています。
名軍師だったら、関ヶ原で負けなかっただろという突っ込みもありそうですが、
ただこれも、上司がダメだったという結論になりますね。
家康を暗殺していたら、情勢も変わっていたでしょうから。

27 名前:わっぱが:2007/07/25 05:38 ID:uFrzRGV.2c
 司馬さんの作品に「言い触らし団右衛門」というのがあるそうです。
 私の将来の夢は、うまい酒と温泉がある場所で、時代小説を読むことですね。
 (あと、ハヤカワSFを全巻制覇とか。後の楽しみのために全然読んでないのです)
 

28 名前:スナドリネコ:2007/07/25 09:22 ID:G1Ef4QVRy2
それは、塙団右衛門の話なんでしょうか?
真田十勇士と、同じレベルで語られる人という印象なんですけど。
豪傑物って、立川文庫でしたっけ?
昔、豪傑マンというラジオドラマがありましたよね。

29 名前:わっぱが:2007/07/26 01:01 ID:9hfsWhJGl2
 そうです>塙
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4122019869

30 名前:スナドリネコ:2007/07/26 11:19 ID:3itkbYD4ug
なるほど、塙団右衛門はたくさん主君を変えましたからね。
転職するためには、宣伝も大変だったのでしょう。
そうなると、可児才蔵とかも似たような人物だったんでしょうね。

31 名前:んし@小学一年時の担任は内藤先生:2007/07/30 19:12 ID:KzTKJqAk3o
戦国自衛隊見ましたが
三人一組で、先頭の一人が大きく振りかぶって脳天狙い。
防いで両脇ががらあきのところに
ほかの二人が両側から刀を突き刺す
というやり方してました。

なるほどなぁ・・・。てきとーにチャンバラしてるよりも
頭脳的連携ですなぁ。

岩見重太郎 といえば・・・
牢破りが有名ですな。
って、これはスレ違いでした(笑)。

32 名前:わっぱが:2007/07/31 03:09 ID:eu4PlttJWI
 戦国自衛隊、なつかしいっすね。
 角川映画でしたっけ?

33 名前:んし@映画あんまりみない:2007/07/31 07:12 ID:Zrps.oUBLk
たしかカドカワだったような。
でもんしはテレビの連続ドラマで見ました。

34 名前:わっぱが:2007/07/31 07:23 ID:eu4PlttJWI
 を、んしさん、早起きですな(^^)
 角川といえば、渡辺典子ですかね。湯殿山麓呪い村、とか。
 最近では「時をかける少女」ですかね。ATGしてました。ディレクターズカンパニーかも(台風クラブか)

35 名前:スナドリネコ:2007/07/31 09:44 ID:uOcjOS8Nok
んしさんは、囲碁をやるんですか。
普通は、狒々退治が有名ですね。
元ネタは、どこかで聞いたような話なのですけど(笑)

「時をかける少女」は映画館で見ました。
ワイフには不評でしたが、私には良くできてると感じました。
タイムトラベルものは、それなりの素養がないと楽しめないのかも知れません。
パラドクスを、どう処理するかが面白さの分かれ目なんですよね。

36 名前:んし@毎朝六時起床:2007/08/01 08:09 ID:T9jIKP1cJ.
続・時をかける少女の小説を最初に目にしたのがきっかけで
へえぇ、ドラマになってたのかぁ と関心をもち
そのあとに時をかける少女を読み
そのあとに映画化されて・・・でしたねぇ。
アニメ化もされてるようですが。

七瀬シリーズもドラマ化されましたっけ。
数年前は、ふたたびのほうが週刊誌に連載されてましたね。
コミック買っちゃいました。
ハッピーエンドでないのがかわいそうでしたねぇ・・・・。

37 名前:わっぱが:2007/08/01 14:35 ID:8/6XMUUX1g
 私はヘタレなので、ハッピーエンドでないものは読みません(笑)
 「ブレードランナー」も初期版が最高、という派であります
 (アンドロイドは電気羊の夢をみるか、が原題ですよね)

 時をかける少女も、私の年代では少年ドラマシリーズ「タイムトラベラー」の方がデフォです
 ハヤカワ ジュヴィナイルシリーズ、という、カッパブックスサイズの読み物はクラスの全員が読んでました
 筒井さんは普段は雑なコメントしかしないですけれど、この少年少女ものについてはかなり精緻な取り組みをしています
 ショートショートとも違う、筒井さんの別の面が見れて面白いです(七瀬も雰囲気似てますね)

 先週テレビ放映されたアニメ版はタイトルのみ採用で、中身は基本的に何の連携もないのですが(芳山くんが出てるのも跡付けのハプニング)いまの若い人たちにタイムリーぷの権利が与えられたら、という点でリアルな感じがあると思います
 タイムパラドックスを笑い飛ばしているあたりが、筒井原作よりも優れてるし、バックトゥザフユーチャみたいな面白さ(=「まあ、固いこというな」)に通じる非SFな面白さがあると思います

 なんにしても、エロが絡まない形での青春モノが少ない時代に、貴重なラブストーリーになった点は120点の評価点をつけれます
 営業戦略上の入浴シーンとかカットできればもっと良かったんですけどね

 2度目、3度目は、タイム表示をメモしながら見るのですけど、本体部分98分を実に無駄なく配分していました
 これが終わってから編集する通常の本編と、最初から構築するアニメとの違い=アニメ的手法の有利な点でしょうか
 それでも再鑑賞に堪えるアニメは少ないのですが、これはその少ない成功例だと思います

 ただし、ドラマティックな部分は少ないので、今の子どもたちがみると中学生日記のように見えてタイクツなだけと思われるでしょうね
 明らかに、原作ではなく、少年ドラマシリーズを踏まえているような演出も見えて、でも嬉しかったです

38 名前:スナドリネコ:2007/08/01 15:34 ID:juqiQ0FXOM
いや、入浴シーンを営業戦略とは思いませんでしたよ。
水戸黄門ですか(笑)
カウンターがあるというのは、なかなか良い発想でした。
永遠に時間を逆行できたら、話が終わりませんからね。
ついこの間劇場で見たと思ったら、もうテレビ放送されてちょっとがっかりでした。
あのお話はコミックも出ていて、コミック版はアニメと最後が違っていました。

七瀬シリーズは、3部作の「エディプスの恋人」でちょっと違う世界に逝ってしまいましたね。
「家族八景」が、一番面白かったかも知れません。
これは、以前に赤塚フジオが漫画化したことがあります。

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」のパロディーで、光栄が「電気ウナギはオランダ妻の夢を見るか」
というエロソフトを昔発売してましたね。
パロッテいるのは、タイトルだけなんですけどね(笑)

39 名前:わっぱが:2007/08/02 02:09 ID:2mSiR0caeU
 いや、やっぱ動画の入浴シーン、水泳シーン、スポーツシーンは、
編集部や営業サイドからの要請が殆どですから

 女の子成分が足りないと、野球部の部長が妙齢の女性になったり、
隣に色っぽいお姉さんが引っ越してきたり、地味な同級生がメガネを
取ったら実は美少女だった、とかいうテコ入れが行われます
 (今から20年ぐらいまえのサルマンで指摘済み)

 カウンターがある、というのは最近の不条理アニメの影響でしょうね
 夏服だから、後ろの席のヤツに見られるんじゃねえの、とか、白粉彫りか!?とか

 第3者に渡れば、カウンターもさかのぼる、のは煩いSFマニアがいると
パラドックスだと突っ込まれそうですね (まあ、固いこというな)

 「謎の転校生」のように、変に深刻になってないところが「時をかける少女」のいいとこですし、
原田知世版であるとおり、SF風味のライトラブストーリーというのが
やっぱ本道でしょう
 なにせ、コンセプトは、教室で読めるジュヴナイル小説なんですから

 執筆は1965年とかなので、もう42年前の作品です;というより、期せずして青年=筒井康隆の姿が見える作品になりました
 今年はちょうどジュヴナイル文庫として発売されてから40周年にあたります
 あと、少年ドラマシリーズ第一弾として放送されてから、35周年にもあたります

 とにかくこの作品でSFに嵌まって、人生が変わった人が回りに売るほどいます
 2,3回しか見てないですが、いま教育テレビでやってる「電脳コイル」というのも、かなり少年ドラマシリーズの香りがしますね

40 名前:んし@子供向けドラマ見ましたよぉ:2007/08/02 06:28 ID:bwhu4B4G..
「七瀬ふたたび」と「俺たちなつきと甲子園」
放映されたのはかなり昔ですが、ビデオが出たとゆーんで買ったことも
昔の話です。
甲子園のほうは、林家正蔵さんが、昔の名前で出てましたよ。
エンディングの曲は岩崎良美さんでしたっけ。

七瀬ふたたび には、筒井さんも出演していたようですが
誰だったかわかりませんでした(苦笑)。
そーいえば、フードファイターにも出てましたよねぇ。
多才なのがうらやましい・・・。

41 名前:スナドリネコ:2007/08/02 11:18 ID:inRGXc3qFs
自称ブスで、めがねを取ったらかわいいというのは、一時期少女マンガの定番でしたね。
ストーリーに関係なく、隣に素敵女子が引っ越して来るんですか?
サザエさんのお隣が、画家の浜さんと作家のいささか先生がかわるがわる引っ越してくる
のとは違うんでしょうね(笑)
ゲド戦記で、敵が女性に変わったのも、てこ入れだったのでしょうか。

カウンターを使い果たしても、もう一人が時間を戻せばまたカウンターが戻る?
それを繰り返せば、永遠にやり直せますよね。
原作ではラベンダーの香りをかいで、タイムトラベラーになったので、ラベンダーって何だ?
と思いました。
その後、ラベンダーと言えば「時をかける少女」のイメージになりました。

少年ドラマシリーズも、後半は全然見ていないので「俺たちなつきと甲子園」というのは
まるで記憶にありません。
当時は、眉村卓とか光瀬龍原作が多かったですよね。

42 名前:んし@あれはおもろかったよ:2007/08/02 20:51 ID:bwhu4B4G..
女子の高校生が、男子にまじって野球部で活動するお話。
マネージャーではなく、選手として活躍する内容でした。

多くの女子が、選手の一人に憧れる中で、その女の子は
憧れるだけでなく、プレーしたい という願望で
部の規則にのっとって、坊主刈りになって、女子だとバレないように
ポジションはマスクをかぶるキャッチャーにして
怪我をした正捕手のかわりに試合に出場する
というお話。

主人公の女の子は、オーディションの面接で
「裸になるとの坊主頭になるの、どっちがいい?」
と聞かれて、坊主頭を即座に選んだことで採用されたそうです。
実際に坊主頭になったそうです。

もう見れないのかなぁ。
人形劇の三国志のほうが人気高そうだしなぁ。

43 名前:わっぱが:2007/08/03 02:24 ID:C/B48MlUS2
 坊主頭の女子高生は、昔の北高スキー部でよくみました。
 もう、子ども心に、すごいハードな練習してるんだなあ。というイメージでした。
 山谷に北高のヒュッテがあって(南高のもあったかな?)、気合入ってたような。

 まだ、北高生が帽子かぶってたような時代でした。

44 名前:わっぱが:2007/08/03 02:43 ID:C/B48MlUS2
>人形劇の三国志のほうが人気高そうだしなぁ

 うん、もう最高です>三国志
 テーマソングのCDまで買ってしまいました。どこいったかなあ(笑)
 完全に細野さんサウンドです。銀河鉄道の夜と並ぶ名曲でしょう。

 エンディングテーマが、「好きならすっきとー、言えないこっころーに」と
何の脈絡もないラブソングなのが、実に良かったです(笑)

 ちなみに、今は無き松本竜介も出てた点でも注目です。出番多かったし。(紳助も出てた)
 最大の注目点は、せんだみつおがすごい実力派だったことが10数年ぶりに明らかになったことですかね。

 1話1話が2時間ドラマみたいな感じで、異常な見ごたえがありました。
 土曜日は楽しみでした。

45 名前:わっぱが:2007/08/03 02:46 ID:C/B48MlUS2
 人形劇といえば、「新八犬伝」と「紅孔雀」「プリンプリン物語」ですかねー。
 九ちゃんのナレーションも素晴らしい八犬伝。
 「わぁれこそわぁ、、、、たまずさがおおおんりょおおおお」「えんの行者の霊験じゃあああ」など、きめ台詞も素晴らしい。
 なんかガンダムなどに影響を与えてたような気がします。

 「プリンプリン物語」もミュージカルしてて素晴らしかったですね。
 アクダ共和国のうた、とか歌えます。

46 名前:んし@連続ものは最後まで見たい:2007/08/03 06:50 ID:jq16UefmHY
プリンプリン物語、何年か前も再放送してましたね。
最終話見れなかったんだよなぁ。どんなふうになりました?
トンブリカの歌も幻想的で、悪くなかったなぁ。
最初に訪れた国はまったく忘れて記憶にない(笑)。

紅孔雀も懐かしい。
きれいな女性が毒飲まされて、怖い顔になって・・・
なんてのもありましたっけ。

47 名前:スナドリネコ:2007/08/03 09:46 ID:uEHfXIo3d2
人形劇は、「ちろりん村とクルミの木」「ひょっこりひょうたん島」「空中都市008」
「ネコジャラ市の11人」「真田十勇士」というのもありました。
「八犬伝」から、人形が辻村寿三郎氏になって迫力も増しましたね。
「三国志」は川本喜八郎氏ですが、かなり豪華な人形でした。

「プリンプリン物語」の歌は、頭に残りますね。
ある時、何気なく口ずさんでいたら、帰宅した妹が「今、バス停の前の家の幼稚園児が
同じ歌を歌ってたわ」と笑われました。

48 名前:わっぱが:2007/08/03 11:08 ID:C/B48MlUS2
 うーん。再放送見たかったですー。
 「とべー、とべー、羽ばたけ・べにくじゃくぅー」ですね。
 いずれの人形劇も、音楽に気合が入っていて、すぐに耳コピできる歌ばかりでした。

 「おいらは、しどろ」「おいらは、もどろ」「2人あわせて、しふどろもどろ」とか、
 「世界で一番、優れた民族、あくだ・あくだ共和国。命令絶対、規則はいっぱい、あくだ・あくだ共和国」という感じの、歌謡曲やCMソングの「もってこい」が多く、NHKというより広告代理店系クリエーターの存在を感じます。
 「未来少年コナン」のアナーキーぶりも含め、昔のNHKは冒険してましたねー。
 人形劇も、そうとうな辛口のものが多く、これって子ども向けでいいの?という感じでした。
 見た目は子ども向けを装いつつ、大河ドラマ以上の仕込みを感じさせる演出が素晴らしかったです。

49 名前:んし@アニメもあったっけ:2007/08/03 16:03 ID:jq16UefmHY
キャプテン・フューチャーもありましたっけ。
プリン・プリン物語では、エンディングのほうが印象に残ってますねぇ。
ハッピーアドベンチャーでしたっけね。
しどろともどろのテーマは、嵐を呼ぶ男からですね。

あれ?
ひげよさらば が抜けてません?
んしは見てなかったけど。

あのころは、ついでにみんなのうたも見てたなぁ。
んしはDVD十巻セット買いました(笑)。

50 名前:わっぱが:2007/08/04 04:15 ID:QawtAsJnro
 広川太一郎ですね。ちょうどMrBooとかやってた頃かな。
 「〜とかなんとかいっちゃってー」という定番がキャプテンフューチャーでは出ませんでしたね。(出さないって)

 「子どもの、頃は、夢がみれたよー」とかいうオープニングでした。
 オットーとかいう脇役も出てましたね。

 みんなの歌、カタマリで見ると感動的ですね。
 私は「今日は一日、みんなの歌」のBS特集で見てました。
 かめはめはーとかヨイですね。

51 名前:スナドリネコ:2007/08/05 09:59 ID:e0ueGu0wrY
実家にいないときに放送されていた物は、興味がある物以外見ていなかったようなので、
かなり記憶があやふやです。
そういえば、笛吹童子とか平家物語なんかもありましたよね。
勉強が忙しかったとか、仕事が忙しかったなどで見てなかった物もたくさんあります。
キャプテン・フューチャーはアニメでしたね。
小学生の頃、少年探偵団シリーズとか怪盗ルパンと並んで、SF小説を良く読んでいたので
キャプテン・フューチャーシリーズも良く読みました。
そんなこともあって、懐かしく見たと思います。

52 名前:わっぱが:2007/08/05 23:36 ID:ZrdskR2jw.
 うーん、字で書かれたCフューチャーは読んでないです
 勉強に忙しくなかった(教科書ガッコにおいてるのでそもそもやってない=アホですね、おれ)ので、安心して「未来少年コナン」とか「キャプテンフューチャー」を手に汗握ってみてました
 さらにみてただけでなく、ラジカセで音撮って、メモ取りながらリフレインで聞いてました
 起承転結とかドラマツルギーとか細かな演出とか、このメモでだいぶん勉強になりました(試験には出ないのよねー)

 ほんと、ラジカセ、大活躍 ほぼ一日中使ってました
 パディスコとかマックとかソニーのCFシリーズとか、人類史上最も電化製品が異常増殖した時代でした
 小林亜星とかが、「ビックGM,コンサイスコンポ」、とかCM打ってるころでした

53 名前:スナドリネコ:2007/08/06 09:55 ID:xqcx2CdiSo
当時のタイトルは、「戦うフューチャーメン」とかいうタイトルでした。
貧乏で本も買ってもらえなかったので、学校の図書館にあった物を読んでいました。
アニメで、動いているサイモン教授がシュールでした(笑)

うちのラジカセは、最初はステレオではなかったです。

54 名前:わっぱが:2007/08/08 02:37 ID:xwgPdiDKeU
 なんかパーコーメンみたいですね(笑)
 貧乏は同様ですから、私も図書館組です.
 小学校の図書館の本を一通り読むのが野望でした

 ラジカセはモノラルが基本でしょう(笑)
 昔のラジカセは、必ず内蔵マイクがついてましたので、生録とか簡単にできたです
 自分の声を聞いて「ヘンだなあ」と思うのが実に新鮮でした

 好きな女の子と、テープの交換とかしたりとか、そういうアイテムでもあったわけです(照笑)
 もちろん、ダブルカセットとかない時代でしたので、友達のラジカセを借りてジャック接続で一発取りのダビングです
 まだ3万円もしてた蛍光管表示の「電卓」が時間計算に大変役に立ったもんです

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